臨床工学技師の仕事とやりがい

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腎臓病の治療について

腎臓を患っている方へ

「私」と「臨床工学技士」

いよいよ最終学年、3年次へ

そして、最終学年、3年次。この時になると、病院実習と卒業研究、そして国家試験の勉強がほとんどを占める。・・・そして、就職。

まず、春先に、すぐ病院見学がある。生徒2名で一組となり、それぞれの病院へ行って、現場の雰囲気などを学ぶ。私は、透析室メインの病院に見学になった。数年前うちの学校を卒業した指導者がいて、その人について回る感じ。

まず、最初の挨拶もそこそこに言われた言葉が、「スタッフは忙しくてピリピリしてる時間帯がある。そういう時は、雰囲気を悟って、絶対に話しかけないように。余計な事言われると怒鳴ったりするかもしれんから」だった。

そう言われて、準備室から透析室へ入る。患者様はまだ来てはいなくて、皆談笑しながら機械の準備をしている。なんだ・・・そんなピリピリしてないじゃん・・・ちょっとホッとした。

・・・が、患者様が来てからは、正直「戦争」と言っていいほどの動きようだった。患者さんが来て、体重を計る。それをスタッフの1人が見届け、記録表に書く。それを基に、どれぐらい身体から水分を引くかの計算をし、機械の設定をする。患者様がベッドに寝るや否や、針を刺す部位の消毒をして、針を刺し、透析開始。

これを、スタッフ5人程度で患者様30人。1人当たり、6人の透析開始をする計算になる。しかも、患者様は次々に来る。スタッフ1人でいっぺんに数人の患者様の透析を開始できるわけじゃないから、当然待ってもらう事になる。

1分でも早く透析を始めたい患者様は、スタッフに「私の番はまだ~?」とプレッシャーをかける。スタッフは、「今いきま~す!」と、走り回って次の患者様の準備をする。

優しそうな看護師長さんは、「透析開始時は、忙しくてちょっと教える時間ないだろうけど、見学して色々学んでいって」と言ってくれたが、正直、走り回るスタッフの邪魔にならないような位置に移動するぐらいのことしかできなかった。

・・・1時間後。ようやく患者様の入りが落ち着いてきたところに、今度は透析液を作成する仕事。そして11時。自分達が入室してから3時間。

たった3時間。しかし私達二人はヘロヘロになっていた。

指導者が、少し休憩を取ろうと言ってくれ、ソファーにぐったり座った。しばらく動きたくない・・・そう思っているそばで、指導者は医療機器の点検・修理をしている。こりゃあ体力ないと続かないな・・・隣で、やはりぐったりしてる同期を見て、お互い力ない笑みを浮かべた。考えてる事は一緒らしい・・・

午後は午後で、透析終了の仕事がある。これも時間との勝負。3分おきぐらいに、あちこちの患者様の透析終了のブザーが鳴る。透析終了の業務が終わったら、後片付けする暇もなく、次の患者様のところに向かう。ひと段落したところで、後片付けをまとめて始める。さすがに、このあたりになると、指導者も疲れが見え始めている。

しかし、のんびりはしていられない。午後3時ぐらいから始める、夜間透析の準備があるのだ。後片付けを終え、また透析の準備をし、午後の患者を受け入れる。私達は5時で上がらせてもらったが、午後の透析は22時まで続く。正直、技術面で新しく覚えられたような事は一つもなかった。

しかし、透析室の現場の雰囲気。正に「戦場」。これだけは、いやと言うほどわかった。帰りのJRの中で、同期と「こんな中で、俺ら働けるんだろうか・・・」と話していた。

私も思っていたことだ。しかし、今になって「止めた」なんて言えない。とにかく、国家試験合格まで頑張ろう。考えても答えの出ない事より、今確実に頑張らなければならない事を一つずつ片付けていこう。そう同期と話しながら帰った。

7月。真夏の暑い時期に、今度は臨床実習が始まった。実習は4つの項目に分かれる。「人工透析実習」「人工心肺実習」「ICU・手術室実習」「高気圧酸素実習」。それぞれ2週間ずつ、計2ヶ月の実習。

4月の病院見学で、自分達がどれだけ甘いか思い知らされた。「疲れた」なんてそんなことは、教えてもらう身分で言ってはいけない。そういう思いを持って臨んだので、それ程問題は起きなかった。

真剣になって臨むと、色々な疑問が湧いてくる。自分が実習で行ってきた技術は通用するのか、試してみたくなる。(当然、まだ学生なので、患者様とは関係のない部分での技術)知識不足だと怒られたり、大変だった部分もあったが、とても勉強になる実習だった。

それが終わると、いよいよ国家試験の勉強が本格的に始まる。勉強方法としては、まず今までの国家試験の過去問を解き、わからなかった分野の教科書を読み、基本から応用までわかるようにし、問題に対して、ただ答えを暗記するだけではなく、最初から答えを導き出し、説明できるような勉強をする。

これを実践する為に、クラスで過去問を振り分けし、一人一人がそれに対する答えを導き出すプレゼンをする、という勉強法を行った。当然、途中でプレゼンできなくなったら後日やり直し。また、プレゼンが終わった後、質疑応答をし、それに答えられなくてもやり直し。

「この分野は俺に何でも聞け」という状態を、クラス40人で力を合わせて作り出す。40人の知識力を合わせれば、国家試験満点を取れる、という状態にする。そこから各々、解けない問題は、「その分野を任せられた」人に、徹底的に教えてもらう。そして秋頃になってから、毎週模試を行うようになった。

過去問をシャッフルして、オリジナルの問題を先生が作成し、それを生徒が解く。私はこの頃から既に、合格点(180点中6割の108点)を超える成績を模試で取っていたので、先生から「国家試験合格」のお墨付きをもらい、自分の勉強と平行して、なかなか成績が上がらない人達のヘルプに回る事になった。

その甲斐あってか、12月末ぐらいには、全員が合格点の108点を超える成績が模試では取れるようになっていた。しかし、毎年国家試験には、「絶対解けない問題」と言うのが存在する。「その専門分野の先生ですら解けない」という問題が、1割程度毎年出るのだ。

この問題を全く解けないと仮定すると、模試では7割以上取らないと、合格圏内には入らない、と言う事になるのだ。私はこの頃もヘルプに回ってはいたが、6割から7割に成績を上げるのがなかなかできない生徒が数人いた。

これは2月になっても変わらず、先生の考えで、もう新しい問題には手を出さず、解る問題は絶対に落とさない、と言う勉強法に切り替えた。自分はといえば、毎週の模試がコンスタントに8割以上を取れるようになったので、それほど心配はしていなかった。

そして3月の第1週日曜日。本番を迎えたのであった。