臨床工学技師の仕事とやりがい

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「私」と「臨床工学技士」

いよいよ就職~今まで

私は、実家から地下鉄で20分程のところにある、内科のクリニックに就職した。主な診療は糖尿病だったが、そこにこじんまりと併設されている透析室を任される事になった。

ただ、そこの透析室には人員がいなく(辞めてしまっていた)、即戦力となる人材が必要らしい。そこで、学校の卒業式の次の週、3月の第3週から、就職先の院長のつてで、別の透析施設で研修する事となった。・・・この研修は、ホントに大変だった。

透析に関しての実習は学校でやったので、実際にはできるはずだった手技が、患者様を目の前にすると、緊張で手が震え、頭が真っ白になり、何もできなくなった。研修指導者が「どきなさい!」と私を突き飛ばし、代わりに手技を行った。

自分の無力さがここまで露呈されるとは思っていなかった。「学内実習でちゃんとできたんだから」と、たかをくくっていた。まず、「自分はひよっこなんだ」と自覚するところから、研修は始まった。

なんだかんだ怒られながらも研修はやっとこさこなしていき、研修先の電話に学校から連絡が入り、国家試験の合格を知らされた。自己採点で合格だとわかっていても、やっぱり嬉しいものだった。

そうして、3週間の厳しい研修を終えて、私は就職先の透析室の、実質主任にいきなりなってしまうのであった。そのクリニックは、透析のベッド数は5つしかなかったのだが、自分が中心となって透析治療を行うのは、新人の私にとってとてもプレッシャーになった。

また、別の施設で研修を受けたとはいえ、たった3週間で透析治療の全てを覚えるなんて事は到底できず、技術面も知識面も、疑問に思った事を教えてくれる人、「それじゃダメだ」と注意してくれる人は、誰もいなかった。ひとりぼっちだった。

更に、就職先では、悪性関節リウマチの患者様に行う、「血漿交換」と言う治療もやっていて、それも覚えなければならなかった。しかし、それも、聞く人が誰もいなく、1人でなんとか覚えていった。「これでいいのかな?」と疑問に思っていても、自分の手技を見てくれる人などいなかった。

だから、就職から2年経っても、自分の技術はちっとも上がらず、それを同僚が良く思うわけもなく、人間関係もゴチャゴチャしてしまい、色々原因もあったが、2年半で辞めてしまった。「うつ病」というお土産を持たされて。

それから全部で6回の転職を経て、ようやく今の職場に落ち着く。その間、透析だけではなく、内視鏡検査にも携わった。そして今。透析業務は続けたかったのだが、今の職場は透析はやっていなく、人工呼吸器などの設定・医療機器の保守管理・修理などの業務に携わっている。

資格を取って11年目。当院には臨床工学技士は私一人しかいないが、だからこそ自由に、思ったように仕事ができる。そう思い、ここに腰を落ち着けて、日々頑張っている。