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「私」と「臨床工学技士」

進路を臨床工学技士要請校単願に。そして・・・

臨床工学技士の養成校に進学する事を決めた私は、どこの大学にそういう科があるのかを調べた。しかし、当時、私の住む地域には、要請校は専門学校1校しかなかった。

だからと言ってどうと言うことはなく、自分はその専門学校に入るだけ、と考えていたのだが。高校の進路指導の先生が、うるさかった。「お前は、高望みさえしなければ、国公立大学に入れる実力あるんだから、考え直したらどうだ」と言われた。

自分がなりたい職業の要請校ではなく、学校の売名の為に国公立大学に入れと。そう言われた。それを聞いた瞬間、その先生に対し一気に嫌悪感が生まれた。

「俺は学校の為に進路を決めたりしません。自分がなりたい職業が決まっているのに、それを応援してくれる進路指導をしてくれなくて残念です。自分にはもう指導は必要ありませんので」と一気にまくし立て、進路指導室を出た。

そこから先は、孤独な努力の継続だった。周りは皆大学進学を目標としており、専門学校を目標としている自分をバカにするような事も言われたことがある。でも、自分は断固たる決意があった為、気持ちは全くブレなかった。

その要請校には推薦入試と一般入試があったが、両方に備えた勉強をした。図書館や予備校の自習室で、ずっと勉強した。そして、推薦入試当日。筆記試験はほとんどできた。あとは面接。色々想定していた質問はあったのだが、私が質問された項目は、自分の病気のことがほとんどだった。

最後に、「臨床工学技士というのは、ある意味体力勝負ですし、持病があるSHUさんが臨床工学技士となって働く、と言うのは、かなり厳しい事になってしまう、と言わざるを得ません」と言われた。

この時、「あ、落ちた・・・」と思った。ショックと言うよりは、これから進路どうしよう、と言うことで頭が一杯だった。3年の12月。これから大学を受けるには、準備期間が少なすぎる。

同じ要請校の、一般入試に賭けるか?いや、成績が良くても、面接が落とされる理由なら、結局同じだろう・・・一浪して大学を目指すか・・・でも、どこの大学??臨床工学技士への道は、はっきりとした意識を持って目指した進路だったので、それを曲げて、自分の入れそうな大学をとりあえず目指す、と言うことが許せなかった。

そして、3日後。その専門学校の方から、親宛に電話が来た。内容は、「筆記試験も、面接も、成績は申し分なかったのですが、学校側としては、病気の状態がどの程度のもので、臨床工学技士として働く事ができるのかどうか、という事を議論中です。親御さんから見て、日常生活にどの程度の制限があるのでしょうか」と言う感じ。

電話口の父は、「息子は、自宅から高校まで片道10kmの道のりを自転車で通い、また趣味でバンド活動を行うなど、かなりアクティブに動いています。『臨床工学技士の業務に耐えうるか』と言うことに関しては、どの程度の負荷がかかる仕事なのか、と言うことが解りませんのでなんとも言えませんが、息子は、体力的にも精神的にも、ごくごく普通の高校生だと思っております」と答えた。

解りました、引き続き議論したいと思います、と言われ、電話を切られる。面接の感触から言って、絶対落ちた、と思っていたのだが、こういう電話をしてくるという事は、落ちたと決まったわけでもないらしい。

このときの、父が言ってくれた「ごくごく普通の高校生」と言う言葉が嬉しかった。学校側がこの言葉を信用してくれて、合格できれば・・・と願っていた。

そして、合否通知が届く予定の日。高校から急いで帰ってきた私が出迎えてくれたのは、ニコニコしている母。そして、合否通知の封書。・・・しかし、封が開けられている・・・

中身を見ると、『合格』!!しかも、特待生として、学費の一部を返還してくれる旨の通知も入っていた。やった!!!

・・・しかし・・・私宛の通知を、私より先に封を開けて見ていた母。これがどうしても許せなかった。「もし落ちてたらどうしたのさ?俺が帰ってきた瞬間、どんな顔して俺の顔見たのさ!?」って言うと、「だって、封書が分厚いから、絶対合格だと思ったもん」だって・・・もう笑うしかなかった。

とにかく、私は、「臨床工学技士」への一歩を踏み出した。平成9年4月、私は臨床工学技士の養成校の生徒になった。(3年制)