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私の闘病記

身体の異変

最初に自分の体調に違和感を感じたのは、小学6年の終わりだった。私の父がスキー好きで、冬にはよくスキー場に連れて行ってもらった。スケートが盛んで、どちらかと言えばスキーはマイナーだと言われている地域に転校した小学6年の冬も、例外ではなかった。

しかし、いつもなら、スキー場に連れて行ってくれる時はすごく嬉しくて、前の日はよく眠れないぐらい楽しみにしていたのに、この時はなんとなく身体がだるかった。

いや、この時だけではなく、いつからか、動くのがおっくうになっていた。

「なんだか身体だるくて、スキーあんまり楽しみじゃないなぁ・・・」とつい口走ると、父は明らかに不機嫌になり、「父さんだって仕事で疲れてるのに、せっかく休みの日に連れてってやるんだぞ!!楽しみじゃないなら行かないぞ!!」と怒鳴られる。

普段とても優しい父が、この時だけはとても怖く感じ、とてもじゃないが自分が「なんとなくダルい」という、曖昧な体調不良を前面に出すことはできなかった。しかしホントは、父や母に心配してもらいたかったのかもしれない。

「大した事じゃないかもしれないけど、なんとなくダルいのがずっと続いているよ。なんとなくだけど身体が重いよ。なんなんだろう。何か病気じゃないよね?」

って言いたかった。でも、父の怒鳴った声に萎縮してしまい、言い出せなかった。

(・・・今思うと、ここがターニングポイントだったと思う。この時、自分の体調の変化を素直に口に出していれば。病院に行っていれば。或いは、違う人生があったのかもしれない。しかし、それはもう過ぎた話・・・人生に「たら」「れば」はない)

それから、「なんとなくダルい」というのがしばらく続いていたが、あの時の父の怒鳴った声がどうしても頭から離れなかった。

日曜日には必ずと言っていいほど遊んでくれた父。キャッチボール、公園、海、いろんなところへ連れて行ってくれた父。それら全部、父の望んでいたことだと思っていた。

・・・いや、実際そうなんだろう、と今なら思える。

たた、「仕事で疲れているのに」「連れてって『やっている』」とあの時言った父。その言葉がとてもショックで、これ以上父に反抗する言葉をかけると、もう遊んでくれなくなっちゃう・・・・そう思い、日曜日に「今日はキャッチボールやるか」と言い出す父に、自分の体調の事には触れる事はできず、重い身体を引きずって、父についていった。

そして、私は中学に入学した。当然入学早々、健康診断・身体測定がある。

それまで、私は「何でこんなことやるんだろう・・・めんどくさい・・・まぁ、授業がないのはいいけど」ぐらいにしか思ってなかった。「異常なし」がずらっと並ぶような健康診断に、意味も見出せなかった。でも、この時初めて、見た事のない結果・そして健康診断の意味を知る。

「尿検査:尿蛋白(4+)・尿潜血(3+) 精密検査が必要」

さっぱり意味が分からず、学校の先生に聞いてみた。「あぁ、シュウ君は、尿検査もう一回してもらうからね」と、さらっと言われた。・・・別に大したことじゃないよ、と言わんばかりに。

でも、私はすごく不安だった。書いてある事の意味は解らない。でも、もしかしたら何かの病気なんじゃないか。

病気・・・ここで、自分に思い当たる事がひとつあった。

「身体がダルい」

これが何かの病気なんじゃないか。なんとなくだけど、でもずっと思っていたことだった。その健康診断の結果を持って帰宅し、母に見せる。

そして、ずっと言えなかった事。でも、ずっと不安だったこと「なんだか最近、ずっと身体がダルい。好きだったスキーも楽しみにできない程疲れやすい。何か病気なんじゃないだろうか」と、半分泣きながら母に言った。

母は、ただ一言、「すぐ病院行こう」と言い、その日の内に、近くの小児科に連れて行ってくれた。そこでの医師の結果は「ここでは診断は下せないので、総合病院に行って下さい。紹介状を書きます」とのこと。

なんなのだろう・・・不安は余計に大きくなっていった。次の日、学校を休んで、地方都市では一番大きな、市立病院へ行った。色んな検査をした。そして、診察室へ、母だけが呼ばれた。

・・・15分ぐらいだろうか。母が診察室から出てきた。明らかに目が充血していた。幼い自分には、それが何を意味しているのか、解らなかった。

母は一言、「入院だって」と言った。

こうして、平成3年5月、中学に入学したばかりの私は、早々に休学になり、地元K市の市立病院の小児科に入院する事になった。この入院が、1年近くにも及ぶ事。その間に、最新の治療をする為に転院をし、違う町に引っ越すことになること。これが生涯続く闘病生活の始まりだったこと。そして、これら全ての経験が、『臨床工学技士』と言う職種に就く大きな動機になること。

当時13歳の私は、全く知る由もなかった・・・